①宇和先哲記念館
まず、最初に訪れていただきたいのが、宇和先哲記念館です。卯之町の町並みがある西予市宇和町の基盤をつくった人々を紹介している記念館です。この町で開業し、人々を啓発したシーボルトの弟子である二宮敬作や、彼に医学を学んだ楠本イネなどをはじめ18名を紹介、さらに当時の医療器具を見ることもできます。宇和先哲記念館には、無料駐車場もありますので、車を駐車したうえで館内を見学し、町並みを散策されてはいかがでしょうか?
町並みの一部は中町と呼ばれ、江戸時代中期から昭和初期の商家を残し、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
白壁、うだつ、持送り、格子などの伝統的な建築様式が残り、町並みを歩けばはるか昔にタイムスリップしたかのよう。
古き良き文化の香りと商業に賑わいを感じることができます。
卯之町は、シーボルトの娘で日本初の女性産科医である楠本イネをはじめ多くの偉人たちが、訪れた町でもあります。
そうした足跡をたどりながら、卯之町の町並みを紹介します。
所要時間:約2時間
(施設内見学、移動時間を含む)
まず、最初に訪れていただきたいのが、宇和先哲記念館です。卯之町の町並みがある西予市宇和町の基盤をつくった人々を紹介している記念館です。この町で開業し、人々を啓発したシーボルトの弟子である二宮敬作や、彼に医学を学んだ楠本イネなどをはじめ18名を紹介、さらに当時の医療器具を見ることもできます。宇和先哲記念館には、無料駐車場もありますので、車を駐車したうえで館内を見学し、町並みを散策されてはいかがでしょうか?
宇和先哲記念館で卯之町の歴史を学んだ後は町並み散策へ。メインの通りから一本南側の通りにあるのが「鳥居門」です。天保5年(1834)に庄屋九代目鳥居半兵衛兼利が身分不相応なこの門を藩の許可無く建てたことにより、左遷されたという話が伝わります。大きな乳鋲金具(ちびょうかなぐ)を配したケヤキの門扉に入母屋屋根(いりもややね)という珍しく、格式の高い門として人目を引きます。
現在の八幡浜市保内町(旧宇和島藩)で生まれた二宮敬作はシーボルトの門下生として長崎の鳴滝塾で学んだのちに帰郷し、天保4年(1833)に宇和島藩主の命もあって卯之町で蘭方医を開業しました。シーボルト門下における外科医の第一人者としてたくさんの患者を救うとともに、蘭学塾を開き多くの若者を育成しました。その一人がシーボルトの娘・楠本イネです。
現在の岩手県で生まれた蘭学者・高野長英は、天保10年(1839)に幕府を批判したとして捕らえられ収監されます(蛮社の獄)が、牢屋の火災に乗じて脱獄。逃亡を続け、宇和島藩主伊達宗城の支援を受け宇和島藩に潜入。翌年、鳴滝塾の学友である二宮敬作を頼り卯之町に。その際、敬作は、自宅の離れなどで長英をかくまいました。
明和7年(1770)に建てられた、屋根に対して直角方向に出入り口を設ける「平入り」の建物です。蔀(しとみ)や格子(こうし)など卯之町らしいデザインが残る町並みの代表的な町家です。大正時代初期まで酒造業が営まれ、昭和12(1937)年まで醤油製造・販売が営まれていました。毎月第1日曜日に定期一般公開を行っています。
明治15年(1882)に町民の寄付によって建てられた西日本最古級の小学校。アーチ形の窓にドイツ製のガラスが使用された西洋風の特徴ある建物です。明治から昭和初期にかけての掛図など資料約6,000点が収蔵、展示されています。また袴姿の先生と明治の授業体験も楽しめます。(予約)開明学校の前身となる「申義堂」や町内から出土された考古資料を展示している第二校舎「歴史民俗資料館」も見学できます。
昭和3年(1928)に建築された木造の旧宇和町小学校を移築し、米どころ「宇和」を象徴する「米博物館」として運営。約80種類の稲の実物標本や宇和地方で使われていた農耕具など、米に関する資料を展示しています。有名な雑巾がけレース「Z-1レース」が行われ、観光客の皆さんも109mの日本一長い木造廊下で雑巾がけを体験できます。
もともと卯之町の町並みは室町時代から江戸時代に松葉城を拠点とし、南予全域を支配した西園寺氏の城下町が起源。西園寺氏が黒瀬城に移りますが、たびたび火災にみまわれたため、1651(慶安4)年に現在の場所に移転後、卯之町と改称されたと伝わります。
江戸時代を通じ宇和盆地の米や宇和ヒノキの集積地として、宇和島と大洲を結ぶ宇和島街道の宿場町在郷町として栄え、明治以降も蔵元などの商家が並び、にぎやかに発展を続けました。