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野村シルク博物館とほわいとファーム野村シルク博物館とほわいとファーム

エリザベス2世のドレスにも使用された野村町産生糸

「シルクとミルクの町」。西予市が合併する前の野村町のキャッチフレーズだ。宇和島藩では江戸末期、技師を招き養蚕を推奨した。明治時代に入ると野村町でも養蚕が始まる。肱川の流路に沿って発達した「河成段丘」が広がる野村町の傾斜地では稲作よりも養蚕が適しており急速に広まった。当時の人々は春から秋にかけては米と養蚕を、冬の農閑期には野村町特産の和紙「泉貨紙」を作って生計を立てていたが、昭和恐慌や、過剰供給による繭の価格低下により不安定な収入が続いた。そこで、有志の呼びかけにより、1931(昭和6)年に繭市場や倉庫管理を行う東宇和郡購買販売組合を創設し、昭和8年に製糸工場を建設。「野村の繭から野村の糸を」という人々の悲願は達成した。
野村町で製造された生糸は「カメリア」(白椿)として商標登録され国内外で高い評価を受けた。かつてはエリザベス2世の戴冠式のドレスに使用され、20年に一度行われる伊勢神宮式年遷宮の御用生糸を担った。2016(平成29)年には「伊予生糸」としてGI(地理的表示保護制度)にも登録されている。
このように野村町の産業を支えてきた養蚕・製糸業。西予市立野村シルク博物館では、繭・生糸の生産に使用された道具など数多くの貴重な資料が展示されている。館内には実習室もあり、好きな経糸(たていと)がついた織り機を選び、自分が好きな緯糸(よこいと)を使ってオリジナルの作品をつくるコースター織りなど、生糸の魅力を体験できる。

野村町の河成段丘の様子

野村シルク博物館の外観

河成段丘に広がっていた桑畑は酪農の舞台へ

化学繊維の需要拡大、外国産の輸入増加もあり、野村の養蚕・製糸産業は昭和中期以降衰退した。その代替産業となったのが酪農だ。野村町の酪農は戦前からも行われていたが、本格的な取り組みが始まったのは戦後になってから。河成段丘に広がる桑畑の一部は牧場へと変わり、昭和40年前後にピークを迎えた。その後、酪農者数は減少しているものの、それでも酪農が野村町の基幹産業であるのは間違いない。
特に標高1,000m以上の高原に広がる四国カルスト大野ヶ原は、県内でも有数の酪農の産地。大空の下、白い石灰岩の連なる大地で、乳牛がのんびりと草を食む牧歌的な風景が、訪れる人々を癒す。
そんな野村町のミルクを使った商品を全国に広めたいという思いから、「ほわいとファーム」は誕生した。ここでは、搾りたての風味をなるべく損なわないように低殺菌処理した牛乳を原料に乳製品を生産している。製造現場を見学できる「ミルク工房」でつくられた「アイスクリーム」は全国メディアにも取り上げられる人気商品。機内食にも採用された「カマンベールチーズ 森のろまん」は、カマンベールチーズ発祥の地「フランス・ノルマンディ地方」の伝統製法でつくられた自慢の逸品だ。
河成段丘という第一次産業の舞台としては決して恵まれているとは言えない土地を利用し発展した「シルク」と「ミルク」。そこには、与えられた環境のなかで逞しく未来を切り拓く人々の知恵と営みの歴史があった。

ほわいとファームの外観

カマンベールチーズ 森のろまん

野村シルク博物館でのコースターづくりの模様

野村シルク博物館では繭も見学できる

四国カルスト大野ヶ原の乳牛

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